「学び」について考える...どんな事からも学べる。万物全てこれわが師

 

パフォーマンスエンハンスメントコーチ
安藤智子です

今日は学びについて考えてみたいと思います。
 
「学び」と言えば、学校で勉強する、とか
先生から教えてもらうとか、セミナー講師から学ぶ、とか・・・
まず連想するのは、こういったイメージが先に来ると思います。

 

昨日の記事でご紹介させていただいた
松下幸之助さんの「道をひらく」の中の
[自主独立の信念をもつために]

という章の中に幸之助さんが説く「学び」について
とても深く、また学びという概念を更に広げた
素晴らしいメッセージがあります

ここでそのメッセージを紹介したいと思います

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学ぶ心

自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと
思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである。

教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない。
幼児は親から、生徒は先生から、後輩は先輩から。
そうした今までの数多くの学びの上に立ってこそ自分の考えなのである。

自分の知恵なのである。だからよき考え、よき知恵を生み出す人は
同時にまた必ずよき学びの人であるといえよう。

学ぶ心さえあれば、万物全てこれわが師である。
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、
後輩の純情な忠言、つまりこはこの広い宇宙、
この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、
どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに
脈づいているのである。
そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである。

これらすべてに学びたい。どんなことからも、どんな人からも、
謙虚に素直に学びたい。全てに学ぶ心があって、はじめて
新しい知恵も生まれてくる。
よき知恵も生まれてくる。学ぶ心が繁栄へのまず第一歩なのである。

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冒頭触れた学び=師からの教えという一般的と思われるイメージの学び

幸之助さんの言う学びとは、
万物全てがわが師になるという
これまで私自身が抱いていた学びという狭い範囲での概念を
覆す非常にダイナミックな解釈でした

特に語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、なども
日々生活のあらゆる物事において、全てが師となりうるという

確かに反面教師という言葉もあるように
解釈の仕方によっては、いくらでも学ぶことって、日常から
沢山あるんだと思う。



昨日、一昨日とテーマにした「高い抽象度」「広い視野」
を持ってこそ、あらゆる物事が学びとなり、その人自身の
成長、進化を遂げる上での糧となるのですね。

謙虚な気持ちで、万物全てこれわが師の視点で
今からあらゆることを意識に上げ
学びに変えて行きたいと思います



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